節分の基礎知識〜2025年/2026年の節分はいつ、節分行事の由来や意味、恵方の方角、恵方参り、恵方巻きのレシピ・食べ方・切り方、節分飾りや行事食
節分の基礎知識をまとめておきます。
2025年・2026年の節分はいつ、恵方の方角
2025年の節分と恵方の方角
2025年の節分は、2月2日(日)。恵方の方角は、西南西。
2026年の節分と恵方の方角
2026年の節分は、2月3日(火)。恵方の方角は、南南東。
節分は年に4回ある
「節分」とは、季節をわける変わり目の日です。
1年を二十四の季節でわける「二十四節気」のうち、四季の始まりにあたる日が「立春」「立夏」「立秋」「立冬」。それぞれの前日が、本来の「節分」です。
江戸時代以降、立春の前日のみを特別な「節分」と捉えるようになり、現代では「節分」といえば、「立春の前日」を指しています。
節分の日の決まり方
立春は、2月4日前後です。節分は、その前日である2月3日前後です。
立春は、二十四節気の1つで、太陽の動きをもとに決められています。
地球が太陽の周りを一周する地球の公転周期が365日ぴったりではないため、立春の日付が変わります。
普段使用してる暦は365日、地球の公転周期は約365.2422日。このズレを調整するために、閏年(うるう年)が設けられたり、立春などの日付が変わるのです。伴い、節分の日も変化します。
節分は祝日?
残念ですが、節分は祝日ではありません。普通の日なのです。
恵方とは?
節分では、「恵方」と呼ばれる方角があります。
恵方は、その年の幸運を司る神様「歳徳神(としとくじん)」がいらっしゃるとされる、その年で最も縁起のいい方角のこと。歳徳神は、歳神様、福の神などとも呼ばれます。
恵方の方角とは
その年の歳徳神のいらっしゃる方角、つまり恵方の方角は、古代中国の陰陽五行説に基づいて決定され、毎年変わります。
といっても、その方角は4種類のみ。
【恵方の方角】
- 東北東
- 西南西
- 南南東
- 北北西
この4つの方角を順に巡ります。
その年の恵方は、旅行、引っ越しなど全てにおいて縁起の良い方向とされています。恵方巻きを食べる時に向くのも、この恵方の方角です。
節分はどんな日〜意味と理由
「節分」=立春の前日となった大切な理由と意味
上述の通り、「節分」とは、季節をわける変わり目の日です。
ですから、節分は新しい季節の始まりの日である「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前日と、年に4回あるものですが、現代では「節分」といえば「立春の前日」のみを指しています。
立春は、春の始まりです。寒く厳しい冬を乗り越えて、待ち望まれた季節。
しかも、旧暦では新しい1年の始まりでもありました。
その前日である「節分」は大晦日に相当する重要な日だったのです。
新年に向けて邪気を払う日
旧暦では、立春から新年が始まります。
邪気を落としてから新年を迎えたいとの思いから、大晦日にあたる2月の節分では様々な儀式が営まれました。中には、今日まで受け継がれているものもあります。
無病息災を祈る日
節分は、冬から春へと移る、季節の変わり目です。
今も昔も、季節の変わり目には、体調を崩しやすく病気になりやすい時期です。気候の変化に体が順応しにくかったり、体力が低下しやすかったりするのも、その要因です。
加えて、昔は、そのような時期には、邪気(鬼)が入りやすく、災いが起こりやすいとも考えられていました。
そこで、邪気(鬼)を追い払うことで、1年の無病息災を祈ってきたのです。
節分行事〜由来、いつから
現代に受け継がれてきた節分行事は、宮中儀式であった「追儺」と、お祓いの際に米や豆を撒く習慣が混ざり合ったものが由来とされています。
節分の由来は、宮中行事「追儺」
「追儺(ついな)」とは、平安時代の宮中で行われていた鬼を払う儀式のことです。「鬼儺(おにやらい)」や「ならやい」とも呼ばれます。
古代中国の宮廷で大晦日に行われていた鬼を払う行事が、奈良時代に日本に伝わったものです。706年には、宮中で初めて追儺の儀式が行われたという記録が残っています。
古くには、季節の変わり目には、邪気(鬼)が生じ、厄災をもたらすと考えられていました。
「追儺」は、現代の2月の節分にあたる旧暦の大晦日に邪気(鬼)を祓い、新しい年を無事に過ごせるよう、無病息災への願いを込めた行事として定着しました。
平安時代になると、陰陽師(おんみょうじ)による宮中の邪気払い/鬼祓いが盛んになり、世間にも広まったとされます。
当時は、疫鬼を払う存在とされている儺人(なじん)や、「方相氏(ほうそうし)」、それに従う侲子(しんし)たちが行事を執り行いました。
陰陽師が供物を捧げ祭文を読み上げ、儺人は桃と葦でつくられた弓と矢をもち、方相氏・侲子たちが目に見えない鬼を追いやって門外に出し、厄払いをします。都の外へ鬼を払い出すための行事も、合わせて行われていました。
宮中行事「追儺」の変化
平安時代になると、儀式のあり方にも変化が起こります。
鬼を追い払うために使われた桃と葦の弓矢が、方相氏・侲子たちに向かって使われるようになったのです。
つまり、疫鬼を払う存在であった方相氏・侲子たちが、鬼を示す役割になり、「目に見える鬼」として追われるような儀式に移り変わっていった。そのような描写が残されています。
方相氏の役割が真逆になったのは、方相氏には葬送の際に棺を載せた車を先導する、死にまつわる役があったためとの説もあります。魔除けの意味として、「鬼」とみなし追い払われたようです。
現代では、追儺の儀式は一部の寺社で「節分追儺式」などとして受け継がれています。
「追儺」から節分の豆まきへ
宮中の儀式であった「追儺」が、公家・陰陽師・宗教者などを中心に広まり、各地の寺社にも関連した行事が根付いていきます。
もともとは、豆を撒く儀式はありませんでしたが、室町時代には都の公家や武家で豆まきをしたとの記録があります。
江戸時代には、節分に豆まきを行う習慣が、広く一般に定着しました。「鬼は外、福は内」という掛け声も、この頃に広まったと考えられています。
節分と鬼と邪気
邪気とは〜鬼との違い
昔の人は、病気や災害、飢饉など、人知を超えた恐ろしい出来事、厄災は、「目に見えない悪い力」によるものと考えていました。
その、「目に見えない悪い力」が「邪気」。
そして、その邪気を具現化した存在、象徴としたものが「鬼」。
そのため、鬼は、ツノが生えていたり、赤や青や黒だったり、恐ろしい形相をしていたり、人を喰ったりするのです。
なぜ節分には鬼が来るの?
節分は、季節の変わり目です。
季節の変わり目に、体調を崩しやすい、災いが起こりやすいのは、「邪気」が入り込みやすいためともされていました。
特に、現代の2月の節分は、旧暦では大晦日。
目に見えない悪い力である「邪気」を払い、新しい年を迎え、無病息災で過ごせるように祈ってきました。
節分に鬼が来るのではなく、邪気の象徴でもある「鬼」を払うという行事として定着したのです。
鬼の色は煩悩の色
節分の鬼といえば、赤鬼、青鬼をよく見かけますが、言い伝えでは5色。それぞれに意味があります。
鬼の色は、仏教の「五蓋(ごがい)」と呼ばれる「5つの煩悩」を表しています。
自分が打ち勝ちたい煩悩の色の鬼を追い払うと良いとのこと。
自分の煩悩に合わせて鬼の色を選べる状況に出会したことはありませんが、、
- 赤鬼:貪欲、欲望、渇望の象徴
- 青鬼:憎悪、悪意、憎しみ、怒りの象徴
- 黄鬼(白鬼):心の浮動、後悔、甘え、我執の象徴
- 緑鬼:倦怠、眠気、不健康の象徴
- 黒鬼:疑、愚痴、疑いの心の象徴
節分の豆の意味とは?
日本では、5種の主要な穀物である「米・麦・ひえ・あわ・豆」を五穀と呼びます。
五穀には、「穀霊(こくれい)」と呼ばれる霊・力が宿ると信じる「穀霊信仰」がありました。
その中でも、中でも豆と米は神聖な存在として、鬼を払う力を持っていると信じられていたのです。
豆には、「魔目(豆・まめ)」を鬼の目に投げつけて鬼を滅する「魔滅」に通じ、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いも加えられました。
また、病気や災害を引き起こす鬼を退治するために、豆を煎る(炒る)ことで「魔の目を射る」とし、煎った豆を使います。
一方、生の豆は、芽が出ることから「魔の芽が出る」といわれ、縁起が良くないとされています。
実は語呂合わせばかりです。
節分の行事食・料理
節分といえば、豆まき後に食べる「豆」や、「恵方巻き」が定番の行事食ですが、地方によって他にもあります。
大豆
鬼払い、豆まきに使用する大豆です。
豆まきのあとには、一年の無病息災を願い、自分の年齢の数、または数え年の数の豆を食べる風習もあります。
一部地域では、大豆ではなく、落花生で豆まきをし、落花生を食べます。
私の実家は、幼い頃には炒り大豆でしたが、どこかのタイミングで落花生に変わりました。地域差だけではなさそうですね…
恵方巻
「恵方巻き」。
七福神を示す七種類の縁起食材を、福を巻き込むように太巻きにし、その年の恵方を向き、無病息災や願いごとをしながら、無言で食べます。
無言で食べることで福を招き、断ち切らぬように切らずに丸かじりします。
江戸時代に、商人間で商売繁盛を願って食べられたのが始まりとされる、関西の風習。「丸かぶり寿司」「恵方寿司」「吉方寿司」など呼ばれていました。
1980年代、某コンビニのプロモーションにより、全国区になり、フードロスという社会問題も含めた、現代の定番行事食。
恵方巻きは食べなくても、7つの食材だけ食べても良さそうです。
恵方巻きの食べ方
巷でよく言われている恵方巻きの食べ方はこちら↓
「恵方の方角」を向いて食べるのは、その年の恵方が全てにおいて縁起の良い方向とされているからです。
切らずに1本丸ごと食べるのは、縁起食材を切ってしまうことで「よいご縁が切れる」「幸運が途切れる」などの考え方によるものです。
無言で食べるのは、恵方巻きと共に体内に取り込んだ福が口から逃げてしまわないように。
他にも、笑いながら食べる説もあります。これは、「笑う門には福来る」から。
「ルール」や「食べ方」など言われていますが、決まり事ではありません。
上述の通り、始まりは商人たちの「商売繁盛祈願」。
宮中行事でも、神社やお寺の厄祓いや厄除け祈祷、宗教儀式でもないのです。
加えて、今は7種の縁起食材を巻く太巻きが主流ですが、元はお新香を巻いただけの細巻きだったようです。
縁起を担ぐのは構いませんが、喉につかえたり、むせたりしないよう、太さや長さを調整し安全に召し上がってください。
恵方巻きや太巻きの簡単上手キレイな切り方
恵方巻きや太巻きを上手に簡単にキレイに切るには、よく切れる包丁を使うことが大事ですが、他にもコツがあります。
切る前に、恵方巻きや太巻きをラップでくるっと包みます
恵方巻きや太巻きをラップでくるっと包むこのひと手間にはたくさんのメリットがあります。
【ラップで包むメリット】
- 切る時に抑えやすい
- 形が崩れずにくい
- 具材が飛び出にくい
- 手が汚れない
- 切ったのを並べる時にも楽
そして、包丁にもひと手間だ大事です。
切るたびに、濡らした布巾たキッチンペーパーで包丁を拭く
切る時は、大きく手前に引く
他にも、包丁をお湯で温める、包丁にキッチンペーパーを巻き付けるなどの方法もありますが、一番簡単なのは包丁をキレイにし、少し湿らせておくこと。
濡れ布巾などで拭くことで、少し湿った状態になりますし、包丁についた汚れ(ご飯ベタつきなど)もキレイになるので、スパッと切れます。
それと、大きく手前に引くこと。小さくギザギザするように刃を入れると、かえって切りにくくなります。
いわし
関西地方を中心に、関東・東北地方の一部では節分に「鰯(いわし)」を食べる風習があります。
鰯のニオイや、焼く時の煙が鬼を退けるとされてきました。
柊鰯(ひいらぎいわし)を節分に飾り、魔除け・厄除けする風習もあります。
けんちん汁
関東地方では地域によって、節分に「けんちん汁」を食べる風習があります。
けんちん汁は、鎌倉の建長寺(けんちょうじ)発祥の精進料理が由来とされます。
もともと、けんちん汁は、七福神のひとりである「えびす様」をお祀りする行事「えびす講」や、2月の最初の午の日に行われる稲荷神社のお祭り「初午(はつうま)」といった季節行事で振る舞われていました。
いずれも、寒い時期の行事です。体を温めるために振舞われたけんちん汁が、同じく寒い時期にある節分の行事食としても定着したそうです。
節分ぜんざい
小豆を使った「ぜんざい」を食べることで、厄除けや無病息災を願います。
古くから、赤い色には邪気を払う力があるとされ、厄除けに使われてきました。
また、道ゆく人にぜんざいを振る舞う「厄除けぜんざい」という風習もあります。地域によっては、「お赤飯」。
他人へ振る舞いをすることで、世間に貢献し、多くの人に喜びを与えることで、邪気や厄が入らないようにするとされてきたことによります。
「利他の心」は古くから大切にされてきたんですね。
節分そば
蕎麦は、切れやすいことから「厄落とし」の意味合いとして、細く長いことから健康長寿の縁起物として、節分に食べるのが「節分蕎麦」。江戸時代には、全国的な風習であったそうです。
現代では、蕎麦どころとして有名な、長野県や島根県などで残る風習です。
旧暦の大晦日である節分に蕎麦を食べ、厄落としをし、新年を迎えたことが、現在の「年越しそば」の由来とも言われています。
福茶
「福茶」は、福豆(炒った大豆)、梅干し、昆布などを入れ、お茶を注いだ福茶。節分や大晦日、お正月などに飲む縁起物のお茶です。無病息災を願います。
麦飯
西日本では、節分に鰯と「麦飯」を食べることもあります。
麦飯は、麦の耕作地で収穫の感謝の意を込めて神仏にお供えした名残とされています。
一部地域では、「よまし麦」と呼ばれていたことから、世の中がよく回るようにとの願いを込めた行事食でもあったようです。
くじら
山口県や島根県などでは、「くじら」を食べる風習があります。
「大きなものを食べて大きく年をとる」「大きなものを食べて邪気を払う」といった縁起担ぎであり、「志を大きく」「大きく成長するように」という願いも込めて食卓に上がります。
こんにゃく
四国地方では、節分に「こんにゃく」を食べる風習があります。
「腸の砂おろし」ともいわれるこんにゃくを食べることで、余分なものを排出し、体内をきれいにする意味合いがあります。
節分飾り〜柊鰯
節分には、「柊鰯(ひいらぎいわし)」という伝統的な飾りがあります。
葉のついた柊の枝に焼いた鰯の頭を刺したものを、「魔除け・厄除け」として、玄関先に飾るのです。
鬼が嫌いな鰯(いわし)にニオイと、尖ったトゲトゲとした柊の葉っぱで、邪気の象徴である鬼が家の中に入るのを防ぐためとされています。
なお、呼び方、飾り方、飾る期間、処分方法なども、地域や家によって様々です。
- 焼嗅(やいかがし/やっかがし/やいくさし/やっさし)
- 柊刺し(ひいらぎさし) など
- 焼いた鰯の頭だけ
- 焼いた鰯の頭と尻尾
- 焼いた鰯1匹丸ごと など
- 節分の日だけ
- 1月15日(小正月)〜立春まで
- 節分〜2月末 など
- 神社でお焚き上げしてもらう
- 玄関先にそのまま埋める
- 塩で清め、半紙に包み、捨てる
- 灰になるまで焼き玄関前に盛る など
私の育った地域では見たことがありませんでした。
大人になってから、旅先で初めて見た時には、意味が分からずかなり驚きました。まさに「ギョギョギョ」の世界です。
節分祈祷
節分の日や、その前後に神社やお寺で厄祓い/厄払いや厄除けの祈祷や祭祀を行うのが、節分祈祷です。
古くには、立春前の節分の頃は邪気が流行り疫病が蔓延すると考えられていたため、邪気祓いや疫病を祓う祈願として行われています。
幸運を呼び込む恵方参り
恵方参りとは
恵方参りとは、自宅から「恵方」と呼ばれるその年に縁起が良いとされる方角にあるお寺や神社をお参りし、1年の幸運や開運を願うことです。
恵方にある寺社にお参りすることで、自分自身の気持ちを高めていきます。
自らの気を高めることで、チャンスに気付きやすくなり、そのチャンスを掴み取る智慧(ちえ)と勇気を授かるとも言われています。
恵方参りにおすすめの時期やタイミング
恵方参りの歴史は古く、11世紀初頭にはその風習があったとの記録があります。
古くには、年初めに、自宅からみてその年の恵方にある寺社に参拝して、その年の幸福を祈願していました。今でいう初詣を、恵方の方角の寺社にお参りしていたのです。
現代であれば元旦、もしくは旧暦の新年にあたる「立春」での参拝にあたります。
ただ、特に決まりはありませんので、二十四節気の節目の日などにも行われています。
恵方参りから初詣へ
明治時代になり、都市周辺に鉄道網が発達することで、恵方参りの対象も遠方の有名社寺まで広がるようになります。現在のJRや、競合する鉄道会社の広告宣伝やプロモーションによるものです。
有名社寺は必ずしも「恵方」にあるとは限らないため、方角と関わりのない表現「初詣」という言葉が広告で使われ始めたそうです。
大正時代にもなると、元日の参拝は恵方に限定しない「初詣」が主流となり、恵方参りの慣習は衰退し、現代に至ります。
恵方参りの神社・お寺の決め方
恵方参りでは、自宅を中心とし、その年の恵方にある神社やお寺へお参りします。
恵方にお寺や神社がない、毎年同じお寺や神社でお参りしたい場合の裏技
自宅からの恵方(東北東、西南西、南南東、北北西)に必ずしもお寺や神社があるとも限りません。
古くから、同じような悩みは当然にあり、その場合の裏技もあったそうです。
なんと、、
家から、目標とする神社やお寺に直接向かわず、その寺社が恵方の方角になる地点まで出向いてから、参拝する。
つまり、スタート地点を自宅ではなく、恵方となるように変えてしまう。
「方違え」の応用編といったところですね
神社やお寺での参拝方法は、普段の参拝方法と同じです。
なお、神様・仏様の前で、名前や住所を言わないと誰の願いかわからないなどの、謎ルールも流行っているようですが、、、それは神様・仏様のこと舐めすぎです。
信仰ですから、謎ルールに従うことで救われたり、喜びが増すのであれば、手軽で安い方法だとは思いますが、、、まぁ、個人の自由ですよね。