東本願寺(大谷派)では11月下旬に、西本願寺(本願寺派)では1月上旬に営まれる報恩講について、簡単にまとめておきます。
報恩講とは? 簡単にわかりやすく
報恩講(ほうおんこう)とは、字の通り「恩に報いる集まり」のこと。
浄土真宗では、宗祖である親鸞聖人(1173-1263)のご恩に報いるために営まれる、最も需要な法要です。
親鸞聖人が最も喜ばれるのは、信心獲得(しんじんぎゃくとく)。つまり、阿弥陀仏の教えを心得、本当の幸せになること。そのため、親鸞聖人の命日(11月28日)を縁日とし、浄土真宗のご本山や全国の寺院、家庭などで真剣に仏法を聞きお勤めをします。
「報恩講」は、地域によっては、「ほんこさん」、「御正忌(ごしょうき)」、「お取り越し」、「お引上(ひきあ)げ」、「お七夜(しちや)」などの名前でも親しまれています。
御正忌 報恩講 とは?
御正忌報恩講は「ごしょうき ほうおんこう」と読みます。
「忌」は命日を表し、「正」は本式という意味が込められています。
特にご本山(東本願寺・西本願寺)で営まれる報恩講を「御正忌報恩講」と呼びます。最も格式の高い法要として執り行われます。
御正忌 御文章 全文
御文章(ごぶんしょう)は、蓮如上人が浄土真宗の教えをわかりやすく伝えるために、門徒に宛てた手紙です。
御正忌の章は、御文章第五帖第11通です。
そもそも、この御正忌のうちに参詣をいたし、こころざしをはこび、報恩謝徳をなさんとおもひて、聖人の御まへにまゐらんひとのなかにおいて、信心を獲得せしめたるひともあるべし、また不信心のともがらもあるべし。もつてのほかの大事なり。そのゆゑは、信心を決定せずは今度の報土の往生は不定なり。されば不信のひともすみやかに決定のこころをとるべし。 人間は不定のさかひなり。極楽は常住の国なり。されば不定の人間にあらんよりも、常住の極楽をねがふべきものなり。されば当流には信心のかたをもつて先とせられたるそのゆゑをよくしらずは、いたづらごとなり。いそぎて安心決定して、浄土の往生をねがふべきなり。
それ人間に流布してみな人のこころえたるとほりは、なにの分別もなく口にただ称名ばかりをとなへたらば、極楽に往生すべきやうにおもへり。それはおほきにおぼつかなき次第なり。他力の信心をとるといふも、別のことにはあらず。南無阿弥陀仏の六つの字のこころをよくしりたるをもつて、信心決定すとはいふなり。そもそも信心の体といふは、『経』(大経・下)にいはく、「聞其名号信心歓喜」といへり。
善導のいはく、「南無といふは帰命、またこれ発願回向の義なり。阿弥陀仏といふはすなはちその行」(玄義分)といへり。「南無」といふ二字のこころは、もろもろの雑行をすてて、疑なく一心一向に阿弥陀仏をたのみたてまつるこころなり。
さて「阿弥陀仏」といふ四つの字のこころは、一心に弥陀を帰命する衆生を、やうもなくたすけたまへるいはれが、すなはち阿弥陀仏の四つの字のこころなり。されば南無阿弥陀仏の体をかくのごとくこころえわけたるを、信心をとるとはいふなり。これすなはち他力の信心をよくこころえたる念仏の行者とは申すなり。あなかしこ、あなかしこ。
WikiArc 御文章 (五帖) 御正忌
御正忌 御文章 意訳
さて、この御正忌の期間中、お布施(お金や野菜、お米など)を持参し、感謝の気持ちを表そうと、親鸞聖人の御前に参詣する人々の中には、信心を獲得(ぎゃくとく〜阿弥陀仏のいわれを心得る)した人もいるでしょうし、まだの人もいることでしょう。これは、とても大切なことです。
なぜなら、確固たる信心がなければ、極楽浄土への往生は不確かなものとなるからです。そのため、信心のない人々は、速やかに信心を決定(阿弥陀仏の救済を信じる心を固く定める)するべきです。
人間の世界は無常、生滅変化を免れることはできません。
極楽は永遠に変らない真実の世界です。
だからこそ、無常な人間界にとどまるよりも、変わることのない極楽浄土に生まれることを願うべきなのです。
親鸞聖人の教えは、信心(阿弥陀仏の救済を信じる心を固く定める)を第一としています。その理由を、よく理解しなければ何の役にもたちません。早々に、安心(信心と同義)を決め、極楽浄土への往生を願うべきなのです。
世間一般では、南無阿弥陀仏の本願を正しく聞き、わきまえることもなく、ただ念仏を唱えれば極楽に往生できると思われていますが、それは確かなことではありません。
他力の信心(阿弥陀仏の本願を信じて疑わない心、極楽往生を願う心)を得ることも同じです。南無阿弥陀仏の六文字の意味をよく知ることで、信心を決定(阿弥陀仏の救済を信じる心を固く定める)するのです。そもそも、信心の本質は、『経』(大経・下)にあるように、「聞其名号信心歓喜」(阿弥陀如来のお名前と、同時に仏さまからの「必ず救う」との呼び声を聞き、浄土に往生することを信じる心を持ち、そのことを歓喜する)なのです。
善導大師(ぜんどうだいし)は、「玄義分(げんぎぶん)」で、「南無というは帰命(きみょう)、またこれ発願回向の義なり。阿弥陀仏といふはすなはちその行」と説いています。「南無」という二文字が持つ意味は、雑多な雑行(ぞうぎょう〜阿弥陀仏以外の仏菩薩を称えるなどのさまざまな修行や善行)を捨てて、疑いなく一心に阿弥陀仏を頼りにする心のことです。
「阿弥陀仏」という四文字には、一心に阿弥陀仏を心から信じう敬う人々を、無条件に救ってくださるという意味ががあります。このように南無阿弥陀仏の本質を理解することが、真の信心(阿弥陀仏の救済を信じる心を固く定める)を得ることなのです。
それを受け入れた人こそを、他力(阿弥陀如来の本願力)の信心をよく心得た念仏者と呼ぶのです。あなかしこ、あなかしこ。
参照
WikiArc 御文章 (五帖)
真宗大谷派 東本願寺
浄土真宗本願寺派(西本願寺)
「浄土真宗」入門講座
1から分かる 親鸞聖人と浄土真宗
「御正忌の章」
あなかしこ とは?
「あなかしこ」とは、「謹んで申し上げます」を意味です。
御文章は、蓮如上人が親鸞聖人の教えを門徒にわかりやすく説明するために記された手紙です。
ですから、「阿弥陀如来の慈悲の心、親鸞聖人の教えを(蓮如上人が)ありがたくいただき、あなた(門徒)に謹んでお伝え申し上げます」といった感謝の念、仏様のはたらきに感謝し「もったいないことです」といった意味も含まれていると解釈されています。
御正忌 御文章 超訳
親鸞聖人の御正忌法要に参詣する人々の中には、既に信心を得た人もいれば、まだの人もいます。これは重要な問題です。なぜなら、阿弥陀仏の救いを確かに信じる心(信心)がなければ、極楽往生は叶わないからです。
人間の世界は常に変化し続けますが、極楽浄土は永遠に変わることのない世界です。だからこそ、この不安定なこの世ではなく、永遠の極楽浄土への往生を願うべきなのです。
一般的に「ただ念仏を唱えれば極楽に行ける」と考えられていますが、それは間違いです。大切なのは、「南無阿弥陀仏」の真の意味を理解することです。「南無」は、余計な行いを捨てて阿弥陀仏だけを頼りにする心を表し、「阿弥陀仏」は、そのように信じる人々を必ず救うという仏の誓いを表しています。
このように南無阿弥陀仏の意味をしっかりと理解し、疑いなく信じることこそが、真の念仏者の姿なのです。
報恩講の意味・なんのため?
「報恩」とは、受けたご恩に報いることを意味しますが、報恩講には次のような意味合いがあります。
- 阿弥陀如来の本願を説き明かしてくださった親鸞聖人への感謝
- その教えを伝えていくという願い
- その教えに出遇えたことへの喜びの表現
報恩講 日程はいつ?
縁親鸞聖人の御祥月命日(11月28日)を縁日として執り行われます。
- 東本願寺(大谷派):11月21日〜28日
- 西本願寺(本願寺派):1月9日〜16日
東本願寺は旧暦11月28日、西本願寺は新暦1月16日を縁日としています。
地域や家庭、学校、幼稚園などでは、ご本山との日程をずらしたり、地域の事情に応じて日程を設定することが一般的です。期日を繰り上げるため、「お引上(ひきあ)げ」などとも呼ばれます。
報恩講 何をする?
報恩講では、次のような営みが行われます:
- お念仏を唱える
- 御伝鈔(ごでんしょう、覚如上人が著した親鸞聖人の最初の伝記)の拝読
- 経典の読誦(どくじゅ、声に出してお経を読む)
- 法話を聞く
- 親鸞聖人の遺徳を偲ぶ
- 帰敬式を行う
- お斎(とき)をいただく
- 落語やコンサートなどの「お楽しみ」
御斎(おとき)では、参列者が持ち寄った米や野菜などを調理した食事をいただきます。親鸞聖人の遺徳を偲び、お念仏に出遇った喜びを語り合う、親鸞聖人との縁を確かめ合う大切な機会とされています。
報恩講での服装や持ち物は?
報恩講は、仏事ですが、「弔事」ではありません。寺院にもよりますが、喪服や礼服ではなく平服でのお勤めが一般的です。
報恩講へ参拝する際の持ち物は、お寺からの案内に書いてあることが多いです。
【報恩講での持ち物】
- 念珠(数珠)
- お布施
- 本願寺派は門徒式章(もんとしきしょう)
大谷派は略肩衣(りゃくかたぎぬ) - お経本(聖典の本)
寺院によっては、お経本は貸し出しを行なっていることもあります。
寺院によっては、お米などを持参したり、品物でのお供えもあります。
浄土真宗以外の報恩講
報恩講は主に浄土真宗の法要として知られていますが、他の仏教宗派でも開祖の命日に合わせて、類似の法要が行われています。いずれも、各宗派の開祖のご恩を偲び、感謝する機会として重要視されています。
- 浄土宗:法然上人の忌日法要「法然上人 御忌大会(ぎょきだいえ)」
- 日蓮宗:日蓮聖人の忌日法要「御会式(おえしき)」
「御命講(おめいこう)」「報恩講(ほうおんこう)」「恩命講(おんめいこう)」など - 曹洞宗:道元禅師の忌日法要「「御征忌」「報恩講式」など
檀那寺や菩提寺から、日程等事前にご案内がくるのが一般的です。
檀家であるかどうかは関係なく、お墓があったり、供養をしている、葬儀や法要を依頼する寺院
檀那(お布施)を渡して活動を支えている寺院。「旦那寺」とも呼ばれます。いずれも読み方は「だんなでら」もしくは「だんなじ」
檀那(お布施)を渡す=経済的な支援をしている家が「檀家(だんか)」とも呼ばれます。
江戸時代に、幕府がキリスト教徒の排除を目的とし、各家にいずれかの寺院の檀家になるよう仕向けた寺請制度が起源とされています。
現代における報恩講の意義
現代社会において、報恩講は単なる伝統行事の他にも、重要な意味合いがあると考えられています。
- 教えの継承 ・親鸞聖人の教えを次世代に伝える機会 ・仏教思想の理解を深める場
- コミュニティの形成 ・門信徒同士の交流の場 ・地域社会とのつながりを強める機会
- 自己を見つめ直す機会 ・生きる意味を考える時間 ・感謝の心を育む場
このように報恩講は、宗教行事としてだけでなく、現代を生きる私たちに多くの学びと気づきを与えてくれる大切な機会となっています。